滝尾タキオ幼稚園ヨウチエンのある
御船町(みふねまち)は、どんなところでしょうか?
熊本市より南東へ約15km離れ、九州山地の山間部への入り口に位置するところです。
御船の地は、古くから上益城地方の政治・経済・文化の中心地。県下屈指の醸造の町であり有数の商都として知られてきました。また、要害枢要の地であり南北朝の昔から、近くは1877年(明治10年)の西南の役にいたるまで、幾たびか血なまぐさい戦いが繰り返され、これら古戦場や古い文化・史跡・名勝の類も多いところです。近年では恐竜化石が発見されたため、恐竜の里として知られています。     
                               
御船街道ハゼ並木 - 元禄時代の有名な赤穂浪士、忠臣蔵の討ち入り(1702年)の後、その中の大石内蔵之助ら17名は沙汰を受けるまで肥後細川藩の江戸屋敷に預けられましたが、武士の鑑として手厚くもてなしを受けたことに感謝した蔵之助は恩返しにと、当時財政が困窮していた藩の為に薩摩で習ったハゼの栽培と精ろう法を伝授した。これを受けた細川藩では各地にハゼを植え、その実から「櫨(はぜ)ろうそく」を作り出し、藩の専売事業となり財政を潤しました。そのとき最初に植えられたといわれるのが、御船川に沿って延びる日向街道沿い、現在の御船街道のハゼ並木であります。しかし、1988年の集中豪雨で移植され現存するのは数本となっています。
また幼稚園が建っている玉虫地区には、源平合戦で有名な屋島の合戦の折 舟の舳先に立ち 高々と扇を掲げて「関東武者よ。これを射よ」と声高らかに言った平家一の美女、(那須の与市が見事扇を射落とし源氏方を勇気付けたという語り伝えがありますが)あの美女が玉虫御前で玉虫御前は源平合戦のあと人目を避けて玉虫へ移り、玉虫寺を建立し尼となり平家一門の菩提を弔ったといわれているところが滝尾幼稚園のすぐそばにあります。
  幼稚園ヨウチエンのそばにある玉虫タマムシデラ